日記 あの緑のブログ 2025.4.4.8:53 今日は部屋の中よりも外の方が暖かい日でした。なんだか損した気分です。もしもこんな日が続くようなら向かいの公園にでも住もうかななんて考えちゃいました。(甘栗むいちゃいました。)またしても静かにお腹が痛くて、あー日常日常ーと思いました。日記終わり。ここからは敢えて少しだけ窓を開け放っての独り言です、それが良いスパイスになってくれたらという低カロリーの痛切です。 8:58 何をしにここに来たんだっけ。何故あの部屋に決めたんだっけ。何が始まりなんだっけ。 そう、思い返せば信念なんてものは何処にも無かった気がする。ただ逃げ出すように、逃げ込むように始まって、そうしてまた逃げたくなって現在になる。はじめ何から逃げたか?それは一番はたぶんきっと、さみしさだと思う。10代半ばにおいての、人に会えないあの孤独は刃物足りうる言わずもがなだけれど、本当に厄介だったのはその傷口に菌が入ってしまった事。少しだけ社会に関わり始めた10代後半の、あの、出会う人間・好いた人間・好いてくれたであろう人間への、嚥下し難い不服だった。自分と同じかそれ以上に不幸だと思える人間だけを許せるのなら、そして独りで在りたくないのなら、自分が幸せになるしかない。言葉遊びのようだけれど、幸せになるためには幸せになるしかない、そんな風に破綻しかけた論理に遊ばれてたのかもしれません。ぴょん吉です。そっか、あの不服から来る不公平感から来るさみしさから一時逃げ出すための、一本の軸が欲しかったのかなぁ。ならばなぜライブだったんだろう。ならばなぜ曲を作ってみたかったんだろう。それはやっぱり見栄だろうなぁ。みえみえ。しかしそうすると、還って進めばするりふと、あぁ思い出したけれど、感動したと、言って貰った日の、帰り道に、きっと見栄より眩しい何かがあったんだ。そうなんだ。昨日、昔もらった、アルバムの感想文を読んでたんだ。綺麗な綺麗な円い字で、キラキラ光るシールでデコレーションされた、あのシュレッダーにも打ち克つ数枚の便箋。100年後もきっと抱いている、ただ私にとってのみ無限の価値を持つ、あの頃の息遣いそのままの紙切れを。 タバコ吸ってもいいですか そして また 電話かけてもいいですか。 2025.4.2.11:44 もしもし今って大丈夫ですか。起きると少しお腹が痛かったんですか。ま...