大きくなれよと願って
今日は起きて、また寝て起きてまた寝たら今になった。ぴょんぴょこ太郎だ。中途半端に元気になんてなりたくないのに、少しずつそうなってしまっていて悲しい。今と同じように毎日をベッドの上から流してはトイレの排水管に通す、それだけのダイスの振り方を繰り返して、ううんおみくじを引いて、それで開けもせずに捨てるだけ。1月。そんな毎日だったり、それからやっと働き始めた2月も、3月も、嫌な映像や言葉、あいつやあいつやあいつが何度もフラッシュバックしては塗り替えられて、そうやって自分を形成していくばかり、破滅的な思考に逆に救われながら時間を追いかけるように泳ぐ。ニュースも見ない、ツイッターとかも見ないとなると、世の中の事をゆったり知って、しかもこんなだから、ライブなんてコロナで全部なくなってしまえと本気で思いながら過ごして、自分や大切な人を守ろうとかってでかい声で言ってる奴を見るたびに悲しい気持ちになった。こいつ本気で思ってんの?甲子園でも目指せよ。俺の目の届かないとこでそれ言ってくれ。と思いながら、自分が目を閉じた方が早い事に気付く。だからそうする。別にこんな身体どうなってもいいもの。でも、3/28神戸のおばあちゃんのとこに行くのだけは辞めにした。やっぱりそれは怖くなった。結局それは本音だ。やっぱりそういう気持ちなんだろうなと思う。それを目の前の人間にしか持てない自分が悲しいだけ。一部の分かりやすい対象にしか持てない自分が悲しいだけ。それでも元気になってきた方だ。嘘だ。でも本当。みんな凄いね。とても。生活は枯れてゆく。毎日更新されていく世情に、大切な人や、大切な生活を確保出来てる連中と 自分との気持ちの在り処の格差を感じた。昔好きだったアーティストとか、なんちゃらとかが、偉そうに注意喚起とかしてるのみて、それは真っ当で正しくて、だからとても切なくなった。怒りにも変換されてゆく。あぁ、あんたらなんかそんな気持ちにさえなれるんだ。そっか。そうだよね。ふざけんな。そんな余裕もないくらい毎日毎日心が疲弊してゆく、喉がかゆい喉が渇く、喉がヒリヒリと痛い、そんな生活の連なりに居る俺らなんかには、そんな正しいセリフ見てるだけで辛いよ。悔しいよ。でもやっぱり分かっていて、本当は俺だって手の届く範囲と そのほんの少し外側の皆、そういう規模の人間をちゃんと守りたい。昔ブリーチの初期で一護が言ってたアレだ。それだけ。それは本当。今こうしてなぜだか穏やかだから、損なわないうちに書いとくね。一応ね。たくさんのイベントが中止になって、特に徳島のフェスの代表の長谷川さんからの連絡が、あれが辛かった、あんなに謝られて、この人は被害者なのに、あんなに謝られて、こんな正しさの欠片もないクソガキにさ、それで俺は、うん多分きっとそのおかげだ。やっと少し人間らしい気持ちが戻ってきた。気がする。部屋は今も散らかったまま。やっぱり今は夜だ。この前ねとても素敵な会合があって、この前と言ってももうかなり前だ、とても素敵な女優さんが居て、たしかその人はお酒は飲んでなかった。それでねこんな話をした。酷い事件の話題とかになった時、犯人の気持ちとかを考えてしまう、それで人の反感を買ったりするって、その人は言ってた。なぜだか泣きそうになってた。私はと言うと確か、そっとバスケットボールに手を添えるくらいの返事しか出来なかったと思う。でもそれがなぜだか心地良かった。あの時間がなんだかとても、好きだった。あの時のあの会話、同じテンポでまたしたいな、いつかきっと。明日は急遽バイトだ。バイト先は12日までなくなった。明日はポスティングだ。もうこんな時間だ。今日からまたここで日記を書き始める。0:42。魔法のiらんどめ、引き継ぎ出来るって言ってたのにあのあほ。今日からまたここで日記を書き始めるよ。2015年12月5日、徳島クラブグラインドハウスの冷たくて黒いフロアの床で、一人ぽつりと書き始めたあの日記。金にならねー。フロアの床だなんて、まだご飯うまく食べられない子供みたいだ。この数週間、いろんな事があったんだよ。さみしいこと、悲しいこと、嬉しかったこと、金返せこのあほーと思ったこと、なんでまた失くしたんだ自分のあほーと思ったこと、嬉しかったこと、あほーと思ったこと、切なかったこと。たくさんあったんだよ。夜が閉じてゆく。ジッパー(YKK)を何度開け閉めしてもずっと壊れない、それが夜と朝ってもんでしょう。外が明るくなってきたような気がした。ホントにそんな気がしただけだった。また。
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