同じ今を。の日

昨日はライブだった。叩き折りたいキャリーにギターケースをみっともなく括り付けるのも、小指と薬指を庇って階段を上り下りするのも、リハの入り時間ギリギリにすべり込むのも、行ってきますと心の中で唱えるのも、顔面レベルを少しでもあげようと頑張るのも、茶色のローファーを履くのも、このあと歌う事を考えるのも、それ以外のあらゆる全ての優先度が下がるのも、日付けに何かの色が塗られるのも、痛みを思い出すのも、開演前缶コーヒーを買ったのも、地下1階に生きたのも、中央線に乗ったのも、自分が少なくとも誰かに見られたのも、名前で呼ばれなかったのも、曇り空が澄んでいたのも、嫌いな街を撫ぜ歩いたのも、コンデンサーマイクが欲しくなったのも、音出しのやりとりの中泣き出しそうになったのも、自分の声が好きじゃないなと思ったのも、知らない人と当たり前のように話をしたのも、税込500円の買い物をしたのも、5月12日をやり終えたのも、全部全部ひさしぶりのことだった。あのワンピースにはまだ血が付いている。あれから一度も洗ってないから、涙も痛切も全てエスニック特有の色落ち止め加工無しの染料に織り混ざって、縦糸か横糸かあるいは傷口の抜糸の病院帰りにもう御茶ノ水の空まで高く飛んで消えていってしまったのかも知れない。始末もつけられないまま影送りは終了だ、始末書に自己採点欄があるとすれば、1点か20点か75点か、たまに90点(のちに50点くらいだと気付く)、それかゼロを滲みがちな黒インクで書くくらいしか出来ないから、みんなみたいにライブハウスを守ろうだとかアタシ達イマこうして歌える事のふわふわした幸せとか、そういうものを声高に言語化出来ないや。出来ないです。でもハッピーじゃない方の、幸せとかなら知ってる。たぶんきっと誰よりも。誰よりもは言い過ぎかぁ。一睡も出来ずに朝が来た、これから17時までバイトだ。これから17時までバイトだということを隠さないよ。

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