季節は此処には無いの

有る筈が無い。もっと働かなきゃいけないのに今、イマを数値化したらそれは何処なのかなんて全く考えられずに、もうずっと寝たまんまで生きてしまっています。映画、みにいきたいな。もう半年も経つのに、それも驚きだけれど、それでもやっぱりこの痺れたままの手の感覚の方が驚きだ、けれど何よりリアルで手触りは鮮明だ、その実そこの所は麻痺していて 大事なものはマヒしたまんまだなんて滑稽だ、道行く人々との歩調の差があまりにも分かり過ぎるそんなうたをヘッドホンで流し込む、音の整列行進はいつも不安定に正確で情けなくも肌に馴染む。ねえどんな気持ちで俺を忘れてくんですかと、各駅の掲示板にでも匿名で載っけといて それよりそんなことより、最近思うのです。誰かが自分のこと忘れた瞬間にあっ今だれか俺んこと忘れた。って、虫の知らせみたいにひゅるりと気付いたりするのです。胃の中に石がズンといくつも転がる感覚。なーんてね。ほんとはそんなの嘘だ。この、なーんてねってのを、なるべくキュートに使ってやりたかっただけなんです。だから今の話は、忘れてね。大丈夫。どうせ気付きませんから。今日は起きてサマータイムマシンブルースをみた。なんかギャオいやGYAO!で無料で観れたんです。いつまでもずっと、懐かしくて忘れられない映画だ。どんな本も映画も音楽も、もういつだかの生命線の可視化されたものでしかなくなってしまった。そんな気がする。それは今と恥ずかしくも繋がったままでいる。それを甘やかす俺に俺が与える。手を伸ばす。口に入れる。布団や抱き枕を創り出す。それはなんだか、いけない事のような気がしたまま止められない、昔着いて行ってしまった立入禁止のプール裏みたいなものだ。さみしい。もうずっと、限界の擬態シールの裏一面にさみしさを繁殖させている。みーん。保険証が人をバカにしたように届いてしまった。ゴミの束と一緒に今、部屋の冷蔵庫の上に置いてある。ぶーん。音が鳴らない。もう2日も風呂に入ってない。ベッドから動けずに居る。このままカレンダーが切り替わるの、傍聴席から見てやろうと思う。儚いね。死ねよ。帰れ。えっ、何処に。知らない、いつか消えるなら自分は一体何を持ってくのだろう。この読みかけの小説を、いつもみたいにカバンに突っ込んで、いつもみたいにいつまでも カバンに入れっぱなしのまま。あー。お金返さなきゃ。お姉さんに借りた2万円。あと叩き返したいとこがいくつか有る。こんな時間かよ。今何処だ。腕が細くなった気がする。気づく事がままある。ちいさな自分の変化に。自己愛の賜物だ。文面を叩いて伸ばせば、そんな事すぐに分かった。情けない。誰か、血を分けてあげたい。本当は、そんな気持ち。もう出来ないのだけれど。部屋に火気が無くて良かったなと思う。安全だ。なにかあっても。心に。この手に。

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